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2013年6月21日up

宋江の他にも実在した人たち~史進・呼延灼・徽宗~

「水滸伝って、架空の話でしょ?」と思っている人は、意外に多いようである。しかし、それは間違い。実際に中国で起きた出来事をもとに構成された物語だから、実在した人物やそれをモデルにした人もたくさん登場するのだ。

まず、主人公の宋江は間違いなく実在した。北宋時代の1121年、その宋江は36人の仲間とともに政府に対し反乱を起こした。決起場所は現在の山東省近辺で、近くには「梁山泊」という沼沢地があった。梁山泊はその前から盗賊や政府に反抗する者たちの溜まり場となって、宋王朝を大いに悩ませていた。(正史二十四史のひとつ『宋史』)

…いかがだろうか? これだけでも「水滸伝」が、ちゃんと史実に基づいて作られた物語ということがお分かりになるだろう。

さて、反乱を起こした宋江は首都開封の東部や長江の北岸などで大暴れするも、山東半島の海州で張叔夜(ちょうしゅくや。彼も水滸伝に登場)が派遣した官軍に敗れて降伏したという。その後、宋江がどうなったのか、彼がどんな人物だったのかはわからない。

侯蒙という役人は「宋江の才は人より優れているに違いない。彼を討伐すれば官軍にも多数の戦死者が出る」と考え、宋江を将軍として迎え入れようとしていた。しかし、その直後に侯蒙は亡くなったため、この話は実現せず討伐軍が派遣されることになったが、宋江が有能な人物だったことは確かなようだ。

史進(月岡芳年『月百姿』史家村月夜)
国立国会図書館デジタル化資料より

また、宋江とともに反乱したという36人の中に、史斌(しひん)という人物がいた。キャラこそ全然違うが、この人は九紋竜・史進のモデルといわれる。史斌は宋江の反乱から数年後の1127年にも興州で反乱を起こし、自ら帝を称したが官軍にも同調者が出るほど大きな影響力を持った。しかし翌年、官軍に討伐され、その後の消息は不明である。

その他、108人の好漢の中に実在した人物として挙げられるのが、関勝である。関勝は『宋史』の劉予伝にチラッと登場するが、梁山泊に籠もって戦ったとか「関羽の子孫である」といった記録はなく、その人物像は不明だ。しかし、この関勝は水滸伝の原型となった同時代以降の書物に多く登場しているため、関勝のモデルになったことは確かといえる。

他にもいる。呼延灼のモデルは北宋建国の功臣として知られる呼延賛(こえんさん)、楊志のモデルは同じく北宋初期の楊業(楊家将演義の主役として有名)である。小説上ではいずれも彼らの子孫とされているが、モデルといって差し支えないだろう。

ところで、「水滸伝」は北宋の第8代・徽宗(きそう)皇帝の時代が舞台だが、徽宗も当然実在した。好漢たちから見れば敵側にあたる高俅(きゅう)、蔡京、童貫といった役人や帝のお気に入りの芸妓である李師師なども実在の人物である。物語の中で、役人は大抵悪役として描かれているが、彼らの多くは正史に登場する人たちであり、調べてみると「水滸伝」のキャラと似ている人、似ていない人それぞれバラつきがあって面白い。

他にもいるが、今回は文字数の都合でこのぐらいにしておきたい。「水滸伝」の物語も人物も、まったくのフィクションではなく、史実に取材したものと認識して読むことで、さまざまな広がりが楽しめるはずだ。

文・上永哲矢〈哲舟〉