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2013年8月20日up

好漢たちのニックネームの秘密(水滸伝と三国志2)

好漢たちの愛用武器(6月28日UP分)でも記したように、「水滸伝」と「三国志演義」は舞台となる時代は違えども、リンクする部分がかなり多い。

たとえば、呂方(りょほう)という好漢は『三国志演義』に登場する呂布(りょふ)に憧れて方天画戟を使い、呂布の爵位「温侯」にあやかって小温侯(しょうおんこう)というニックネームを名乗っていることは、その時に書いた。

呂布は「三国志演義」で関羽・張飛のふたりを相手にしても互角以上に戦える武勇を持つなど、後漢最強の男として描かれている豪傑。もちろん実在した人物で、「三国志演義」の原作である正史「三国志」にも出てくる。はるか遠くに突き立てた矛の先に矢を命中させ、赤兎という名馬を乗りこなすなど、本当に抜群の武勇を持っていたようだ。

呂方が憧れの存在と語る「三国志」の猛将・呂布(「絵本通俗三国志・初編上」【著作館】明治15年)より

その呂布は、「三国志」の時代よりさらに300年ほど古い、前漢時代の将軍・李広(りこう)になぞらえて「飛将」と呼ばれていたという。李広も弓矢に長け、「飛将」と称された名将であった。水滸伝で弓の名手といえば花栄(かえい)だが、彼のニックネーム「小李広」は、この李広にちなんだもの。つまり、花栄は李広のほか三国志の呂布とも、間接的ながらリンクした人物といえる。

また、「水滸伝」には「小覇王」周通(しゅうつう)という人物が登場するが、「三国志演義」にも同じく「小覇王」と呼ばれる孫策(そんさく)という男がいる。三国時代において呉の国を建国した孫権(そんけん)の兄にあたり、19歳から26歳までの7年のうちに江東地方で一大勢力を広げ、呉の礎を築いた名将だ。

孫策、周通のニックネーム「小覇王」とは、「西楚の覇王」と呼ばれた項羽(こうう)に由来する。項羽といえば漢の創業者・劉邦(りゅうほう)の宿敵で、戦場では無敵の強さを誇った武将である。

しかし、「孫策が小覇王を名乗るのはいいけど、周通はちょっと…」とは水滸伝ファン共通の認識だろう。「水滸伝」での描写を見る限り、周通はぜんぜん強くもないし、頭がいいというわけでもない。完全に“名前負け”している。私などは「『水滸伝』の作者はもう少し、彼にふさわしいニックネームを付けられなかったの?」と、周通が登場するたびに思うのである。

「小覇王」「小李広」「小温侯」と、いずれも「小」が付くのは、先人たちにあやかるという意味で、「小」つまり「ジュニア」とか「二世」といったものである。

「水滸伝」の物語中でも、李逵と燕青が「三国志」の講談を聞く場面が出てくるように両作品の関係は強い(「新編水滸伝」【一二三堂】明治25年より)

ほかに面白い例としては、「病関索」(びょうかんさく)の楊雄(ようゆう)がいる。関索は、「三国志演義」に登場する関羽の息子。正史には登場しない架空の人物ながら、中国では「花関索伝」というスピンオフ作品の主役にもなるなど昔から人気がある。その関索にちなんだ異名を持つ楊雄は棒術に長け、周通と違ってなかなかの武勇の持ち主だが、顔が黄色い(または顔色が悪い)ので「病関索」というニックネームがついたと説明されている。

こうして見ると、「水滸伝」は「三国志演義」のみならず、さまざまな時代や作品の影響を受けて成立した物語であることが良く分かる。

余談ながら「病」がつくニックネームでは「病尉遅」(びょううっち)の孫立や、「病大虫」(びょうたいちゅう)の薛永がいる。「病」という漢字に対し、われわれ日本人はネガティブな印象を持つが、中国人はそうでもないようだ。一説によれば「病」とは杭州地方では「~にも勝る」という意味があるようで、むしろポジティブな字面らしい。謙虚なように思わせておき、実は持ち上げているなんて…中国の漢字は奥が深くて面白い。

文・上永哲矢〈哲舟〉=歴史コラムニスト