トリビア

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2013年9月11日up

本当にあった? 孫二娘の「人肉まんじゅう」

ドラマ『水滸伝』の第29話で登場する、孫二娘(そんじじょう)という女傑は、実にアクが強くて面白いキャラクターだ。

「母夜叉」(ぼやしゃ)というあだ名を持ち、武芸の腕も立つ。夫の張青とともに孟州の十字坡という場所で居酒屋を営んでいるが、その店、「とんでもなく恐ろしい」と評判の存在なのである。

その評判とは「人肉饅頭(まんじゅう)を出す」というもので、さらには「金を持っていそうな旅人が来ると、酒の中にしびれ薬を混ぜて動けなくさせて金品を奪い、殺して肉を切り刻み饅頭の具にしてしまう」という。

しかし、そこへ、潘金蓮と西門慶を殺し、兄の仇を討った武松が乗り込んでいき、騒動を起こす流れになっている。

武松に人肉入り? の饅頭を
食べさせようとする孫二娘

さて、原作の『水滸伝』には、この孫二娘の「恐怖の居酒屋」のほか、李逵(りき)が自分の偽者を殺した後、その死体から肉を切り取り火であぶって食べてしまう。燕順や王英なども人の肝臓が好物で、旅人を襲っては食べていた…など、人食いの描写が何度か出てくる。

「人食い当たり前」の原作では、孫二娘も本当に「人肉饅頭」を出していたような描写をされているが、今回のドラマでは…なかなか面白い解釈が施されているので、まだ観ていない方はぜひご覧になってほしい。しかし、昔の中国では本当に人食いがあったのだろうか?

実は『三国志演義』にもこんな逸話がある。劉備が敵に追われ、ある家にかくまわれた時のこと。その家の主人・劉安は劉備らをもてなしたいと思ったが、食糧がないため自分の妻を殺し、その肉を調理して出した。

劉備はそれと知らずに感謝して肉を食べ、翌朝事実を知って大変に悲しみ涙した…という。「その行ない、立派である」と劉備はもちろん、後日その話を聞いた曹操も感心するのだ。ちなみに西遊記にも人食いの話は出てくる。これらは小説上のフィクションではあるのだが…。

「足が付いているものは椅子以外なんでも食べる」といわれるほど食文化が発達している中国。近代でも「両脚羊」すなわち「両脚で歩く羊」として人肉が市場で売られていたり、餓死寸前の親が自分の遺体を塩漬けにし、ゆっくり食べて命をつなぐように子供たちに遺言したという逸話が伝わっている。

つまり「人食いはあった」と考えて良いようだが、史実(歴史書)の記録も見てみよう。

『史記』には飢饉や戦争で食料がなくなり、自分の子供を殺して食べようとしたとか、それが忍びないので、交換した他人の子供を殺して食べたなどという記述がある。

また、『三国志演義』には程昱(ていいく。曹操に仕えた参謀のひとり)が「略奪した糧食に人肉が含まれていたため出世を逃した」と書いてある。程昱が実際に食べる様子までは書かれていないが、事実のようだ。

同じく『三国志演義』には董卓(とうたく)が「捕虜の目玉をくり抜き、体を切り刻み、それらを鍋で煮て平然と酒を飲んだ。宴席にいた者らは箸を取り落とした」とある。残虐なシーンだが、彼がその肉までを食べたかどうかは書いていない。

これらの記述からもわかるように、古代から人食いはあったようだが、それは残酷な行為であり「タブー視」されていたようだ。

現在の中国では、もちろん人食いは禁止されている。実際、最近のドラマや映画を観てもその描写は無いし、あったとしても「極めて残酷なもの」として悪く描かれるかのどちらかだ。

実は日本にも人食いの記録はある。戦国時代、羽柴秀吉(豊臣秀吉)が鳥取城を兵糧攻めにしたとき、飢えに苦しんだ城内の人々が、銃撃に倒れて死んだ人間を争って食べたという(信長公記)。

また、江戸時代に何度か大飢饉があったが、1784年(天明4年)「弘前で人食いがあった」と『東遊記』で橘南渓が記している。

幕末の戊辰戦争の時にも、旧幕府軍の総指揮をとった松平正質が敵兵の頬肉をあぶって食した、薩摩藩の兵が死体から肝臓を取り出し、煮て食べた…といった記録がある。

わが国でも、かなり近い時代に人食いが行なわれたのは事実のようだが、いずれも飢餓によってなされた行為だったようだ。ちなみに、ヨーロッパやアメリカにも人食いの話は伝わっている。

国に関係なく、生き抜くためには死んだ人の肉でも食べなくてはならない場合があった。そこまでの極限状態に置かれたことのない者に、人食いを批判する資格はないかもしれない。

ただ水滸伝の人食いは、ある種グルメのように描かれているのでフォローのしようがないのだが。

文・上永哲矢〈哲舟〉=歴史コラムニスト