トリビア

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2013年11月8日up

水滸伝にも出てくる宦官(かんがん)、その秘密に迫る

「水滸伝」に登場する悪徳役人に、童貫(どうかん)という人物がいる。高俅(こうきゅう)、蔡京(さいけい)、楊戩(ようせん)とならぶ四姦臣のひとりで、梁山泊の豪傑たちに死ぬほど憎まれている存在だ。

この4人、いずれも実在した役人たちがモデルになっている。今日は、この中のひとり童貫(どうかん)にスポットを当ててみたい。彼は宦官(かんがん)だったという。

宦官。それは去勢された男性のことをいう。つまり、男性機能を失った者なのだが、なぜか妻や側室を持ち、筋骨隆々とした体躯の持ち主で、顎ヒゲまで生えていたそうだ。(宦官は男性ホルモンを失うため、普通はヒゲは生えなくなる)

「三国志演義」の一場面。三国志にも宦官は頻繁に登場する。ヒゲがない男性役人は宦官と思われたという

「水滸伝」では、高俅らとともに最後まで生き残ってしまう彼は、史実においても悪逆非道の人物で、当時奸臣の代表とされた「六賊」のひとりにまで挙げられたという。

1123年、金国との戦いでは敵前逃亡した挙句に捕まり、斬首されて死んだ。しかし、童貫の首は鉄のように固く、門の敷居を断頭台にしてやっと切り落とすことが出来たという。「本当に宦官だったの?」と疑いたくなるような怪人物といえる。

この宦官について、もう少し語っておこう。宦官は、中国の朝廷に昔から巣食っていた存在で、最後の王朝である清の滅亡後、紫禁城から追い出された宦官は1000人以上もいたという。宦官は王宮に不可欠なものとして近代まで存在したのである。

なぜ宦官が世に現れたのか。そのはじまりは約3000年前の中国、殷(商)の時代。文献上ではっきり確認できるのも殷代で、紀元前13~14世紀のこととされる。

去勢は、最初は異民族の捕虜に対する刑罰だったが、後に異民族に限らず、捕虜や罪人に対して行なわれるようになった。刑罰の種類には鼻削ぎや耳削ぎ、顔面への入れ墨などがあったが、その中でも打ち首に次ぐ重い罰が「宮刑」(または腐刑)、つまり性器の切除だったのだ。

『史記』の著者である司馬遷(しばせん)もそのひとり。前漢の武帝の不興を買い、宮刑に処せられる。以後、強制的に去勢されたことを思い出しては屈辱に震え、何度も自害を考えたという。

「宮刑」という呼び名の理由は受刑者の多くが、傷が癒えた後は宮廷に奴隷として仕えたためである。なにしろ広大な中国だから宮殿も広い。何千人という奴隷が召使いとして入った。

その多くは皇帝の生活の場である後宮に入り、皇帝やその家族の世話をした。後宮には皇帝の寵愛を受ける女性が多数いたから、間違いが起こってはならない。男子禁制である。そこで生殖能力をもたない彼ら宦官の出番となった。

宦官は皇帝やその寵妃らと日常的に接するため、中には気に入られて重用され、権勢を振るう者も出てきた。そのためか、自主的に去勢して宦官になることを志願する者が現れ始める(これを「自宮」という)。

春秋時代に斉の桓公に仕えた豎刁(じゅちょう)は紀元前650年ごろ、自ら後宮の管理を願い出て宦官になった初の宦官で、晩年は権力を得て斉の政治を乱したという。

蔡倫(さいりん)という後漢の宦官は、紙の発明者としても知られるが、このように、優秀な宦官も存在した。

中国王朝で官僚になるには、貴族以外の庶民は科挙という競争の激しい試験に合格しなくてはならないが、去勢すれば宮中に入って出世が望めることから自宮者が後を絶たなくなる。17世紀に明政府が3000人の宦官を募集すると応募者は2万人にも達したという。

さて、去勢の方法だが、陰茎と陰嚢両方を完全に切除する方法が取られた。麻酔はないため、強い酒を飲ませてから行なわれることもあったという。

まず去勢される者を椅子に座らせ、暴れないように身体を縛るか、何人かで押さえつける。「後悔しないか?」と意思を確認した後、糸で性器の根元を縛り、鋭利な刃で下部から一気に切り上げる。当人は壮絶な悲鳴をあげて昏倒。

切り口を酒で洗浄してから、尿道が塞がらないよう金属の栓をし、熱した灰で止血する。当人が起き上がれるようになるまで2か月もかかった。成功するとは限らず、出血多量や傷口が化膿して死亡する者も多かったという。

成人後に去勢した場合、傷口がふさがってからも性器がある感覚が脳内に残り、幻肢痛のような苦しい思いをしたようだ。しかも性欲は残ったままで、それにも関わらず発散する手段がない。このような特異性が、生や富、権力に対して強い執着心を生んだ。彼らの多くが栄達を望んだのも無理からぬところかもしれない。

排尿は女性同様、座って行なった。男性ホルモンが分泌されなくなるためにヒゲが生えず、声は高く、丸味を帯びた体型になるといった症状があった。

ちなみに、中国からさまざまな文化を導入した日本だが、不思議とこの「宦官」の制度は導入されなかった。たとえば、江戸城の大奥が女性だけで占められたように、奥向きのことは女性たちが取り仕切ったという実例がある。

中国から歴史を学んでいた日本人には、宦官という風習は極めてネガティブな存在に映ったのかもしれない。ただ、一応、刑罰や宗教的な動機から去勢が行なわれたことはある。江戸時代の僧、了翁道覚のように性欲を断つために自ら男根を切る者もいた。これを羅切(らせつ)という。

そのほかにも朝鮮、古代ローマ、オスマン帝国、古代インカにも宦官はいたとされる。まことに奇怪ながら、その歴史は長く、そして世界中に存在していたのである。

文・上永哲矢〈哲舟〉=歴史コラムニスト