トリビア

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2013年11月19日up

「水滸伝」の好漢たちが飲んでいる酒の正体は?

「酒は百薬の長」とは約2000年前、中国の前漢(新)の王莽(おうもう)が発した文書に書いてあるそうで、こんにち酒飲みにとっては誠にありがたい言葉として定着している。

その言葉を知ってか知らずか、水滸伝には好漢たちが酒を飲む場面が随所に出てくる。酒なくして水滸伝は語れない、といっても過言ではないほどだ。

魯智深や李逵が酒に酔って大暴れするのは「いつものこと」で、武松は酒を飲めば飲むほど強くなるという設定、宋江も酔っ払って酒場の壁に落書きをしてしまうなど、エピソードには事欠かない。酒の中にしびれ薬を混ぜて気絶させるというテクニック(?)も随所に出てくる。

今日は、彼らが飲んでいた酒についての話を書こう。まず中国には、大きく分けて醸造酒である黄酒(ホアンチュウ)、蒸留酒である白酒(パイチュウ)の2種類がある。

左/黄酒 右/白酒

黄酒は紹興酒・日本酒・ワイン・ビールといった醸造酒に該当するもので、白酒は焼酎・ウィスキーなどの蒸留酒がそうだ。言うまでもなく、白酒のほうがアルコール度数は強い。日本で好まれる焼酎は25度程度だが、中国の白酒は40~50度が一般的である。

いずれも水滸伝の時代(北宋)にはすでに存在しており、広く飲まれていたようだ。生辰綱を強奪するとき、白勝が担いでいた酒は「白酒」で、武松が景陽岡を越えるときに飲んだ強烈な酒も、おそらくは白酒だろう。

ドラマなどを見ていると、好漢たちは豪快にこぼしながらガブガブと呷るように飲むのが印象的だ。そして基本的にみんな酒飲みで、勧められたらまず断らない。「飲めません」などとは言えない雰囲気がある。

現在の中国では、宴席で小さなコップに注いだ白酒を何度も「乾杯」(かんぺい)といって、飲み干してから杯の底を相手に見せるといった風習がある。勧められたら全部飲み干すのが礼儀というから、どこか水滸伝を連想させる。

40~50度の酒をガブ飲みすれば、そりゃあ酔っ払うのが当たり前。日本人の感覚だと無茶飲みとして忌避すべき飲み方だが、お国柄が違えば飲み方も違って然るべきだろう。ただ、酔っ払いに対しては日本人のほうが寛容で、現代中国では公の場で泥酔するまで飲む人は少ないのだという。中国人は乾杯の勧めを、どうやって切り抜けているのだろうか?

ところで、酒の起源だが中国酒の歴史はかなり古く、紀元前4000年ごろの出土品には、すでに壷などの醸造道具や杯などが見つかっている。「戦国策」には、夏王朝(紀元前21~16世紀)の祖である禹王(うおう)に、儀狄(ぎてき)が酒を造って献上したと記されている。

三国志の曹操も酒が好きで、九醞春酒(きゅううん しゅん しゅ)という故郷に伝わる酒の製法を皇帝に上奏している。これは「九」という数字通り、九回に分けて発酵させることで雑味をなくし、アルコール度数もそれなりに高い酒を造ることができたそうだ(それまでの酒は醸造技術の未熟さから、度数が非常に低いものが多かったという)。

この曹操の酒は今の日本酒に似た製法であり、もしかしたら曹操が伝えた製法が日本にわたり、日本酒になった可能性もある。三国志と同時代の邪馬台国では酒が飲まれていたと記録されているが、どのような種類の酒であったのかは分からない。このように、太古から酒と人間は切っても切れない関係にあった。

水滸伝が日本に伝わる前だが、鎌倉時代の歌人・吉田兼好(よしだけんこう)が徒然草の中でこう言っている。「酒は百薬の長といへども、万(よろず)の病は、酒よりこそ起これ」。酒に溺れることも多かった王莽に対する皮肉にも受け取れる。まもなく忘年会シーズン、飲みすぎには用心したいものである。

文・上永哲矢〈哲舟〉=歴史コラムニスト